
語り手:御喜美江(みき みえ/アコーディオン奏者)
聞き手・構成:西田紘子(にしだ ひろこ/九州大学大学院教授・音楽学)
写真提供:セイジ・オザワ 松本フェスティバル

ー武満徹さんの晩年の名作「系図―若い人たちのための音楽詩―」について、日本初演時にアコーディオン奏者として参加された御喜美江さんにお話をうかがいます。
この作品ではオーケストラにアコーディオンが組みこまれていますが、これはとても珍しいですよね。
御喜:私にとって、武満さん、小澤征爾さん、谷川俊太郎さんといった方々は雲の上の存在でしたから、当時は本当に緊張して参加しました。武満さんとは作曲家の細川俊夫さんを通じて以前から親しくさせていただいていて、「アコーディオンの曲もそのうち書こうと思ってます」とおっしゃっていたんです。
ー当時、武満さんはすでに体調を崩されていたのですよね。
御喜:ええ。病気が重くなられたころに「ソロ曲を書くつもりだったけれど間に合わないかもしれない。でも「系図」のアコーディオンパートは御喜さんをソリストとして想定して書いたから」とおっしゃってくださって。
ちなみにオーケストラとのリハーサル初日、管楽器のなかに配置されていたアコーディオンを、武満さんが「この曲は朗読とアコーディオンとオーケストラのために書いたから、御喜さんはオーケストラの前のソロの位置〔指揮者のすぐ前〕に配置してください」と指示してくださったんです。
ーオーケストラの一員というより、まさに協奏曲のソリストとしての位置づけだったのですね。
御喜:そうなんです。ですから、小澤征爾さんの真正面、汗が飛んでくるような至近距離で演奏しました。小澤さんからほとばしる2000ボルトくらいの強いエネルギーを間近で浴びた記憶は、今でも鮮明に残っています。
ー作品のなかでアコーディオンは、曲の後半から終盤にかけてとても印象的な役割を果たしますね。
御喜:前半は「おとうさん」の場面でほんの数小節出てくる程度で、待ち時間がとても長く、緊張感を維持するのが大変でした。ですが、曲の終盤に短いアコーディオンのカデンツァ(ソロ)があるんです。そこを境に一気に世界が変わり、どこかノスタルジックで親しみやすいワルツのようなメロディが流れてきます。武満さんは「あのカデンツァは御喜さんのアコーディオンを思い浮かべて書きました」とおっしゃってくださいました。武満さんは駅のホームなどでそのメロディを口ずさまれていた、というエピソードを読んだことがあります。短いフレーズですが、たいせつな宝物です。
ー武満さんがアコーディオンという楽器に惹かれたのは、どういった理由からだったのでしょうか?
御喜:武満さんはギターやバンドネオンなどにも深い関心をもたれていました。アコーディオンは蛇腹を使って空気の流れでリードを振動させて音を出す「呼吸する楽器」です。音づくりの原点が自然のなかになじむような温かみをもっていて、そうした呼吸や流れを感じさせる音色が、武満さんの音楽や谷川さんの詩の空気感にしっくりとはまったのだと思います。
ー武満さんは、素顔はどのような方だったのでしょうか?
御喜:とても優しく魅力的な方でした。じつはお酒がお好きで、ドイツの果実酒(シュナップス)をおみやげにもっていくと、子供みたいに喜んでくださって。お食事をご一緒すると、ご機嫌で他愛もないお話を楽しまれていた姿が目に浮かびます。
ー指揮者や語り手によっても作品の印象は変わりますか?
御喜:ええ、本当に大きく変わります。たとえば佐渡裕さんとウィーンの楽友協会で演奏したさいは、佐渡さんが現地のインターナショナル・スクールにおけるある演目で目にとまった普通の小学生の女の子をナレーターに抜擢されたんです。プロの俳優ではないひとりの少女が純粋に語る言葉には不思議な説得力があり、深く感動しました。いっぽうで大人の女性が朗読されたこともあり、語り手によって谷川俊太郎さんの詩がもっている多様な側面が引きだされます。
ー九州交響楽団の第442回定期演奏会(2026年9月3日(木))で指揮を務める首席指揮者の太田弦さんは、「オーケストラと語りのタイミングを厳密に合わせるのがとても難しい」とおっしゃっていたとのことです。
御喜:それは本当にそうだと思います。この作品は変拍子が多く、楽譜は複雑で精密に書かれています。けれども、聴こえてくる音楽はけっして難解な現代音楽ではなく、誰の耳にもやさしく自然に流れますよね。だからこそ少しでもギクシャクすると目立ってしまう。緻密な計算と変拍子を完璧に把握したうえで、それをあえて意識させず「自然な空気感」として融合させなければならない。指揮者にとっては最初から最後まで気が抜けない大曲だと思います。
ーこの作品が生まれる前、当時のマネージャー・箕口一美さん〔現在は東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授〕の事務所のファックスを通じて、御喜さんと武満さんが密にやりとりをされていたとうかがいました。
御喜:そうでしたね!当時は携帯電話もない時代で、公衆電話に10円玉をつぎこんで電話をかけたり、ファックスで意見のやりとりをしたりしていました。感熱紙のファックスだったので時間がたって今は真っ白になって読めなくなってしまいましたが、あの時代に手探りでやりとりしていた時間は本当に貴重でした。
ー今回の九響の公演では、御喜さんのお弟子さんであるアコーディオン奏者の大田智美さんが出演されます。
御喜:彼女は私の大学で10年間学び、演奏技術はもちろん知識や実務にも長けたすばらしいミュージシャンです。卒業後もこうして深いつながりが続いており、私が大切にしてきた「系図」という作品を、彼女のような次の世代の奏者が受けつぎ、オーケストラで演奏し続けてくれることは奏者として最高の喜びです。まさに「系図」というタイトルのとおり、命や想いが受けつがれていることを実感します。
ー最後に、武満徹没後30年を迎える今、この作品に向きあう皆様へメッセージをお願いいたします。
御喜:谷川俊太郎さんのすばらしい詩と、武満さんがご自身の死を予感されながら、まるで天国に向かっていくようなプロセスのなかで遺されたこの音楽は、本当に深くてスペシャルな存在です。
そして私にとってこの作品は、音楽そのものだけでなく「人間のつながり」の尊さを教えてくれるものでもあります。当時は作曲家、指揮者との出会いから道は生まれ、アコーディオン奏者とマネージャーが二人三脚となり、膨大な時間と労力をかけてひとつの作品を体験し、世に送り出していました。30年以上たった今でも、当時のマネージャー箕口一美さんがその情熱や記憶を大切に覚えていてくださっていることに胸が熱くなりますし、そうした人間の深いかかわりあいこそが、この「系図」という作品の根底に流れるあたたかさと密接につながっている気がするのです。
今はデジタルで簡単に情報が手に入る時代ですが、だからこそ、人間どうしが心を通わせ、時をこえて受けついできた「系図」の響きを、会場でじっくりと肌で感じていただけたらうれしく思います。
2026年9月3日(木) 開演:午後7時
アクロス福岡シンフォニーホール
指揮 太田 弦
アコーディオン 大田智美
語り 林桜心
武満徹/『系図』ー若い人たちのための音楽詩ー
ブルックナー/交響曲 第6番
[九響オンラインチケット]
https://kyukyo-onlineticket.jp/performance-list.php?on=1
〔プロフィール〕
御喜 美江 Mie Miki
東京生まれ。16歳でトロシンゲン市立音楽院(ドイツ)へ単身留学*。ハノーファー国立音大ピアノ科でベルンエルト・エーベルトに師事。1973・74年、クリンゲンタール国際アコーディオン・コンクール(ドイツ)青年の部で連続優勝を遂げ、ドイツを中心に活発な演奏活動を開始した。日本では1977年に岩城宏之指揮・札幌交響楽団でデビュー。1987年にサントリーホール、1988年にカザルスホールのオープニングシリーズに出演。これまでに小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ、スイス・ロマンド管弦楽団、佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団等、オーケストラとの共演も多数ある。
1988年にスタートし22回継続された自主企画リサイタル「御喜美江アコーディオン・ワークス」では世界初演24作品|日本初演21作品など、その革新的なプログラムが常に注目を集めた。高橋悠治、細川俊夫、吉松隆、一柳慧、ニコラウスA. フーバー、アドリアナ・ ヘルツキーなど、現代を代表する作曲家達が御喜の為に書いた作品は60曲を超える。
CDは「アコーディオン・バッハ」(ナクソス・ジャパン)「フランス・バロック集」「スカルラッティ・ソナタ集」「グリーグ:叙情小曲集」(以上BIS/キング・インターナショナル)など国内外で25枚以上リリース。2017年に発売の「J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集より」(BIS/キング・インターナショナル)は、ヨーロッパで最も権威のある≪OPUS KLASSIK(オーパス・クラシック賞)≫を受賞した。1990年、ヴェストファーレン州政府芸術奨励賞(ドイツ)をアコーディオン奏者として初めて受賞。2014年、日本ミュージック・ペンクラブ音楽賞(室内楽・合唱部門)受賞。ドイツの名門フォルクヴァンク芸術大学では12年間「Artistic Excellence」担当の副学長を務める。数多くの教え子達は世界各地で活躍しており、リシャール・ガリアーノは御喜を「Nadia Boulanger of the accordion」と称えている。新疆音楽大学(中国)名誉教授。バロックから現代曲まで幅広いレパートリーを持ち、クラシック・アコーディオンの世界的第一人者として確固たる地位を築いている。
*「娘よ、ドイツに行ってみたら?」御喜晶子著 秀明大学出版社
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